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アイデンティティについて考えてみる

今日は『アイデンティティ』について考えてみる。とはいっても色々調べたけどいまいち『アイデンティティ』の定義がつかめない。
 なんでこんなことを考えようなんて思ったのかというと、生き物は細胞分裂をするわけで、(よく7年もすれば細胞が全部入れ替わるというが)考え方もかわるわけで、じゃあ、物理的にも心理的にも7年前とは全く違う生き物になるってことじゃないのか?などと、馬鹿なことを考えてみたからである。正確にいうと物質的には刻一刻と細胞分裂がおこっているわけだし、生きている限り新たなの脳の回路が形成されているわけだから、絶対的な物質的自分(すごい言葉を作ってしまった)はありえない。『今』を『今』認識するのは不可能なのと同様に。だからこそ現代において『アイデンティティ』というものが必要なのかな?
 話は戻るが、昔の友人とすっぱり縁を切ってお前は赤の他人だとはいかないのは分かっている。でも小学校の同級生が私を『○○ちゃんだ』と認識するのは当時の記憶(つまり脳内の電気の痕跡)から『○○ちゃん』だとアイデンティファイするわけで、会わなかった期間の私はのことは知らないわけだし、その間に私のモノの考え方や性格が変わったりしているのに、今だに昔同様に顔を付き合わせて当時のように仲良く遊ぶわけにはいかない。ましてや、遊ぶといっても砂遊び以外の遊びをやったことがないのだから、最近の趣味、趣向だってしらない。知っているのは『セーラームーンが好きなこと(あえて現在形で表記)』だけど、当然20越してアミちゃんがどうのと盛り上がったりするわけないし、『あの頃は好きだったけど、今は別にどうでもいい』はずだから、盛り上がるネタがない。『友情』は期間終了しました、ってことになる。仮に現在の趣味があったとして、それは旧友Aとしてではなく『○○さん』として新たに友達になるということであって、過去のことは『たまたま幼児体験を共有したことがあるだけ』にすぎないのじゃないか?
こんなことを思うようになったのは、幼なじみ(同性)と自分の関係がたまにすごく不思議に感じられる時があるからだ。中学までずっと一緒で、高校から別々の学校に通っているのだが、今でも悩み事があれば相談するし、失恋すれば相談にも乗る。でもお互い中学や小学生の頃とは考え方も性格もかわっている。もしも、高校でこいつと出会ったら仲良くなっていただろうか?いや、多分喋ることすらないだろう。とか、さらっと思う。決して今現在彼女のことを嫌いなわけではない。さっきも言ったように悩み事があれば力になりたいし、遊びにだって行きたい(砂場以外に)。だけどここまで趣味が違うし考え方も違うのにどうして今も仲が良いのかわからない。継続して付き合いがあったからか?それとも幼児体験を共有(つまり、自我の形成過程を共にした)したことが大きいのか?(実際根本的な思考が似ていると思う。おそらくその思考、或は感情が発する元になった経験が共通だからだろう)
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