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フリーターとニートと学生を行き来している暇人です。良かったら見てって下さい♪♪


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拝啓 おばあさま

拝啓 おばあさま、今日は雨が降っていたのでそちらからはよく見えなかったかもしれませんが、私はなんとか生きています。
 突然ですが、『大人の方が恋は切ない』(byドリカム)だそうです。でもおばあさまもご存知の通り私子供の頃から結構切ない恋してました。皆結婚していくんです。そりゃそうです。幼稚園児の頃から好きなるのは30前後の殿方ばかり。だって同い年はたよりにならないんだもの。わたし子供だから人の面倒なんてみるのまっぴらなんだもの。
 そうしてまたかなわぬ恋をしてしまいました。でも今回はちょっと違うんです。もう死んじゃってる人。しかも外人の貴族です。トゥールーズ・ロートレックです。お暇があれば孫が好いておりますとお伝えください。足が悪いけど絵がめっちゃうまいんです。料理もうまかったそうですよ。
 彼は印象派の画家でキャバレーのお姉ちゃんたちを好んで描いておりました。先日彼の模写をしたら人物デッサンをほとんどしたことがない私でもかっこいいクロッキー的なものが描けました。素敵です。彼のすごいところは、タッチのリズムが美しい上に人物としてのフォルム、画面の構成要素としての人物、色すべてのセンスが抜群でお洒落でかっこいいのです。
 残念なのは彼は子供の頃転んで脚を怪我して身長がのびなかったこと。きっと彼はそれがコンプレックスだったから恋愛に関してひっこみじあんだったのでしょう。そのかわり客観性にも優れていたし、性格もよかったんだと思います。よくお家に友達を呼んでて料理をもてなしていたそうです。シェフ・ド・モモ(うろ覚え)と自称してレシピが残っているそうです。そして絶品だったそうです。
 当時私が生きていたら求婚してます。背が低かったって関係ありません。あんなかっこいい絵が描けて頭が良いんだったら文句ありません。ジャポニズムの風に乗って彼に迫ってみたかった。
 そんなわけで、今日も孫は元気です。
                                 敬具
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拝啓 おばあさま

拝啓 おばあさま。私も早くお側に逝きたいです。
 ところで今年も12月になってしまいました。この時期になるとどうしてか感傷的になります。きっとクリスマスのせいでしょう。24日まで毎日毎日今は12月で一年の最後の月だと思い知らされているまに何かあせってしまいます。
 何にあせっているって?もちろん人生にですよ。思えば子供の頃の私はもっと理性的でしっかりしていました。物事をすっぱり割り切る残酷さも持ち合わせていました。悩み事は人に相談なんかしなくてもすべて自分で解決できました。もちろん親にもです。進路相談だってそう。面談の時だって『勉強で困っていることは?』『特にありません』『クラスで困っていることは?』『特にありません。』『・・・お家で困っていることは?』『特にありません。』だってあなたに相談して何か解決してくださるの?そんな能力あなたにございましたっけ?しんどい時よく思ったものです。『何かピンチに陥ったってそこから立ち直る主体は結局自分なのだから、人に相談したところで何も解決することはない。本当に助けが必要な時はいつだって独りだ。』
 それが今じゃ、頭で分かっていても『本当にこれで良いのだろうか?』などと無駄なことを考えてしまいます。そんなものやってみなきゃ分からないのに、手間を省こうとしてさぼっている間に遠回りをしてしまっているのです。
 『回り道はしてみるものだ。』とよく名言を吐く人がいますが、今の私の最大の問題は『もうずっとこの道を回っていたいよ』というダメな考えになりつつある事です。『てゆーか養ってくれるなら誰にでもついていくよ?』これがニートの思考回路です。多分おばあさまの時代ではかなりアバンギャルドなものの考え方かもしれませんが、ぬるま湯ってほんっと気持ち良いんです。
 さてここで、子供の頃の私がもし現在の私を見たら何て言うでしょうか?きっと『人生は一度きりなんだからしっかりしろ。』とか『ぼやいてる暇があったら何か始めろよ。』とか言います。でも人生の目標とか夢とかもうどーでも良くなってしまったらどうするよ、お前?大体その夢とかだってなんとなく憧れてただけかもしれないって思ってしまったら、何一つがんばる気出ないぜ?
 汚れちまったなあ。こんな大人にだけはなりたくなかった。でもね、ありきたりですが『もうどうやって生きて行けば良いのか、どうゆう風に生きたいのかわからなくなってしまった。』のです。元々そんなものなかったのかもしれませんが。。。。
 わぉ。今日は思わぬウツ展開してしまいした。とりあえず、お側に逝くのは延期します。
                                 敬具
 

拝啓 おばあさま

拝啓 おばあさま、お元気ですか?まあ、死人に対して健康状態をたずねるのは愚問も良いところでしょうが、形式的なものなのであしからず。あなたが死んで20年が経ちます。そう、あなたは私が生まれて一ヶ月でこの世を去ったのです。
あなたの顔を思い出そうにも思い出せません。だって覚えてないんじゃなくて、あなたの顔を0歳の私が認識できるはずもなければ、そもそもあなたが誰かという事を考えすらしなかったのですから。だけど、今のわたしはあなたがどんな顔をしていたのか知っています。
写真というものは不思議なものです。母が撮ったというあなたの写真を見て私が感じたのは、あなたの顔がどういうものかというよりも、40年前の今日、確実に母が見ていたものと全く同じ視線であなたの顔を私が見ているという不思議な感覚でした。少し低い視線からあなたを真ん中に据えてシャッターを切る幼い母と、それを優しく見守っているあなたの視線。写真を見ている者としっかりと目が合うのはそのせいでしょう。改めて写真を発明した偉人たちに感謝です。
先日写真に関する文献を読みました。フェルメールがカメラオブスクラを使用していたり、ドラクロアが写真を参考に絵を描いていたのは知っていましたが、まさかドガまで写真を使っていただなんて知りませんでした。だってドガですよ?幼い頃私が感じたドガの印象は『ドガってした筆使い』の絵だなあ、というものでした。(まあ私の覚え方なんて全部こんな感じですが。ダリはダリっぽいとか、マネはモネの真似?とかドラクロワってドラクロワ!!って感じとか)しかもかなりのカメラヲタクだったそうで、来た客人を撮りまくってたそうですが、まだ当時は露光に15分もかかっていたので、かなり迷惑な話ですよね。仲良しだったルノワールやマラルメもばっちり撮られたそうです。彼らが15分静止していたのを想像するだけでニヤけてしまいます。
エドワード・ウェストンという写真家の写真はなかなか気に入りました。ヌードなのですが、ただのヌードでなく、人の体を抽象形態にみえるように撮るのです。例えば丸まった人を後ろから手や頭が見えない(言い換えれば背中とおしりしか見えない)状態でシャッターを切るのです。彼に好印象を抱くのはきっとそれがエロティスティックに見えず、暖かみを感じるユーモラスな印象を受けるからでしょう。
少し私も大人になったなと感じたのはロバート・メイプルソープの写真を見た瞬間「こいつぁゲイだな。」と分かるようになったことです。まあ、それが作品の価値に響くことはないでしょうが。ちなみに彼は黒人を好んでたそうです。確かに黒人の筋肉はかっこいいです。男性も女性も。でも、黄色人種にだってきっと良いところだってあるさ。だって世界はチャン・ツィーに夢中ですもの。
そんなわけで、今日も至らない孫はなんとか生きています。
                             敬具         

アイデンティティについて考えてみる

今日は『アイデンティティ』について考えてみる。とはいっても色々調べたけどいまいち『アイデンティティ』の定義がつかめない。
 なんでこんなことを考えようなんて思ったのかというと、生き物は細胞分裂をするわけで、(よく7年もすれば細胞が全部入れ替わるというが)考え方もかわるわけで、じゃあ、物理的にも心理的にも7年前とは全く違う生き物になるってことじゃないのか?などと、馬鹿なことを考えてみたからである。正確にいうと物質的には刻一刻と細胞分裂がおこっているわけだし、生きている限り新たなの脳の回路が形成されているわけだから、絶対的な物質的自分(すごい言葉を作ってしまった)はありえない。『今』を『今』認識するのは不可能なのと同様に。だからこそ現代において『アイデンティティ』というものが必要なのかな?
 話は戻るが、昔の友人とすっぱり縁を切ってお前は赤の他人だとはいかないのは分かっている。でも小学校の同級生が私を『○○ちゃんだ』と認識するのは当時の記憶(つまり脳内の電気の痕跡)から『○○ちゃん』だとアイデンティファイするわけで、会わなかった期間の私はのことは知らないわけだし、その間に私のモノの考え方や性格が変わったりしているのに、今だに昔同様に顔を付き合わせて当時のように仲良く遊ぶわけにはいかない。ましてや、遊ぶといっても砂遊び以外の遊びをやったことがないのだから、最近の趣味、趣向だってしらない。知っているのは『セーラームーンが好きなこと(あえて現在形で表記)』だけど、当然20越してアミちゃんがどうのと盛り上がったりするわけないし、『あの頃は好きだったけど、今は別にどうでもいい』はずだから、盛り上がるネタがない。『友情』は期間終了しました、ってことになる。仮に現在の趣味があったとして、それは旧友Aとしてではなく『○○さん』として新たに友達になるということであって、過去のことは『たまたま幼児体験を共有したことがあるだけ』にすぎないのじゃないか?
こんなことを思うようになったのは、幼なじみ(同性)と自分の関係がたまにすごく不思議に感じられる時があるからだ。中学までずっと一緒で、高校から別々の学校に通っているのだが、今でも悩み事があれば相談するし、失恋すれば相談にも乗る。でもお互い中学や小学生の頃とは考え方も性格もかわっている。もしも、高校でこいつと出会ったら仲良くなっていただろうか?いや、多分喋ることすらないだろう。とか、さらっと思う。決して今現在彼女のことを嫌いなわけではない。さっきも言ったように悩み事があれば力になりたいし、遊びにだって行きたい(砂場以外に)。だけどここまで趣味が違うし考え方も違うのにどうして今も仲が良いのかわからない。継続して付き合いがあったからか?それとも幼児体験を共有(つまり、自我の形成過程を共にした)したことが大きいのか?(実際根本的な思考が似ていると思う。おそらくその思考、或は感情が発する元になった経験が共通だからだろう)

あああ。。。。。

気がつけば、、、、半年すぎてた!!!放置にもほどがあるし、かといって解約とかめんどいのでとりあえず全部捨ててみた。ひさしぶりにみたらこんなレイアウトだっけ?みたいな悲惨な状況。。。。
それはそうと、昨日久しぶりに「analise me」をオンデマンドTVでやってたのでみました。ちゃんとゴッドファーザーみてから見るとあんなに楽しい映画だったんですね。(まあ、知らずともそれなりに楽しめるけど)オレンジ買いに行ったり、多分本物のルカ的な人が出てたりと、色々ニヤつきポイントがあったりして楽しかった。
ここのところ普通の番組全然見てない。FOX良いよ!みんな見なよ。おすすめは『HUFF』と『HOUSE』と『BONES』と『フレンズ』と『ダーマ&グレッグ』知ってる人はほとんどじゃん。とかシラけてくれるかもですが、洋ドラ最高。
まず、『HUFF』はオープンングから良い。ハフという精神科医が主人公で、彼が中年症候群(中年にさしかかると人生がむなしくなるらしい)にかかって楽しく病んでいく話なのだけど、精神科医が主人公だからオープニングの映像がシュール風(20世紀初頭ヨーロッパでおこった芸術様式の一種。フロイトの心理学を応用した絵画手法で、エルンスト、ダリなどがその代表。そうとうはしょった説明で申し訳ない)になっている。やっぱり西洋はそのへんのディテールが細かい。ほかに『PEPPER』というドラマがあって、それはレベッカローミン(X-menのミスティーク。青いやつ)が主人公の報道記者が主人公のラブコメだけど、それのオープニングもポップアート風だったし、『デスパレートな妻たち』のオープンングも名画で構成されている。おまけにお洒落。欧米はそれ専用の作家がいるらしい。
あと、『HOUSE』もオープニング奇麗なのはもちろんだけど話がなかなか完成が高い。ブラックジャックのアメリカ版てだけじゃなく、アウトローすぎる故に経営者ともめるんだけど、それが正義感ぶったうっとうしい感動系じゃなくて、難病の原因究明が趣味な自分のエゴのためにもめるっていうのが良い。患者役で『24』に出てる人とかいたし。(ジャックの奥さんとか)
『Bones』は、法医人類学者とFBIが組んで事件を解決します的な、ドラマとして優等生な感じ。日本でやっても良いんじゃないかな?
『フレンズ』と『ダーマ&グレッグ』は有名すぎて特筆することないな。まあ、ビデオとかDVDあるだろうから見なさいな。

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